Vol.4【難病・脊髄小脳変性症】病気と働き方について②

 こんにちは、ぶれいめんです。

 急に暖かくなったり、寒くなったり、皆さん体調は崩されていないですか?日本でも日に日にコロナウィルスの被害が拡大していますね。今後どうなるんでしょうか。東京オリンピックまでには収束するのでしょうか…

 さて、今回は前回に続き、病気と働き方についてお話ししようと思います。今回は、「今後の僕の生き方」についてです。

それでは、このような流れでお話していきます。

1.病気を抱えながらいかに働くか
2.僕が新しい仕事を選択する理由
3.今後の僕の生き方

それではさっそく始めます。

1.病気を抱えながらいかに働くか

 取りうる選択としては、大きく以下の二つではないかと思います。

  • 現在の仕事をこのまま続ける
  • 新しい仕事に転職する

現在の仕事をそのまま続ける

 個人的には積極的にこれが選べるなら、それがベストだと思います。

 病気の発症年齢は人それぞれですが、多くの方は10年以上仕事をされ、その仕事に対する知見も深まってきた、かつ相応の実績も積み上げてこられたと思いますので、自然なことかと思います。

 かくいう僕もそうです。病気と診断されたものの、2020年2月時点で、商社の営業職を継続しています。従業員100名前後の会社ですが、業務の調整、なるべく外出しないなどの措置をとっていただいており、非常に恵まれていると思います。

 ただし、これには、いずれ進行する病状に応じた配置転換、なにより職場の理解が必要不可欠ですので、限られた人員で業務をこなさなければならない中小企業などでは物理的に対応することが困難なケースもあるかと思います。

 そのため。積極的に選ぶ方がいる一方、どちらかというと選ばざるを得ない方も多いのではないかと思います。

 発症年齢によっては、ご家族を抱えていらっしゃる方もいると思いますので、新しい一歩を踏み出すにも大きなリスクが伴います。様々な要因があると思いますが、結局は自分自身がある程度我慢しながら、仕事を継続しているケースも多いのだろうと考えています。

新しい仕事に転職する

 その一方で、現在の仕事に見切りをつけ、新天地に活路を見出そうとする方もいらっしゃるかと思います。

 これは、前項の裏返しになりますが、自分の周りの外的要因(職場の理解、家庭環境など)が大きく影響してくるかと思います。

 職場で理解が得られなかった、配置転換は認められたものの転勤が必要になったなど。現在の仕事を続けたいが、このような理由で新しく職を探さざるを得ないケースがあります。

 一方で、独身である、手に職をつけたいなどの理由で転職を決める方もいらっしゃるでしょう。

 自分の置かれている環境から、ベストな選択をするわけですが、どちらを選ぶにしても相応のリスクはあるわけで。ある程度の覚悟は必要なってくると思います。

2.僕が新しい仕事を選択する理由

 その上で、僕は今の仕事から転職することを決意しました。

理由は以下の2つです。

  • 生き方を見直した
  • 病気の進行に備える

一つずつ見ていきます。

生き方を見直した

 これが最大の理由です。

 大学卒業後、ずっとサラリーマンとして働き続けてきましたが、病気になったことをきっかけに、自分の生き方このままで良いのか?と考えるようになりました。

 どうしても仕事をしていると、日々の忙しさもあり、仕事だけで手一杯になり、余裕のない生き方になってしまう。

 もちろん、生活する上でお金を稼ぐことは重要ですが、それよりも重要なことがあるのではないかと考えるようになりました。

 病気はもちろん、家族、友人、難病を抱えている仲間を作ること…

 精神的な変化というか、人生における優先順位が大きく変わったことが、転職する(生き方を変える)根本的な理由です。

 

病気の進行に備える

 僕の病気、脊髄小脳変性症は進行性の病気です。

 現在の僕にも様々な症状があらわれています(2月8日のブログをご参照:Vol.2【難病・脊髄小脳変性症】病気の症状について https://bureimen.xyz/?p=158)。今後、5年後・10年後には今より症状が進行していることが予想されます。

 現在は、電車に乗って普通に通勤していますが、いずれはこれが難しくなる可能性があります。会社員でも会社に出勤するのは週三・四回で、自宅で仕事をしている方もおり、働き方改革の影響で、今後もっと広まっていく可能性はありますが、まだまだポピュラーな働き方ではありません。

 そこで、僕が探したのは、基本的には【在宅で働くことが可能な仕事】です。毎朝、通勤する必要がなく、自宅で勤務可能な仕事、そして、それで生活していくことができるかを基準にしました。

 このような基準で探していくうちに、僕が見つけた仕事が【webデザイナー】です。

 web系の仕事は非常に幅広く、デザイナーだけでなくプログラマーなどの仕事もあります。なぜ、webデザイナーかというと、僕は(おそらく病気の影響で)視神経にも影響が出ており、長い時間細かい文字を見続けることが非常につらく、webデザイナーであれば多少コードは書くにしても、ある程度は軽減されるのではないかと考えたからです。

 また、いろいろ調べていくうちに、同じ難病の方でwebデザイナーとして在宅ワークされている方もいらっしゃいましたし、ご結婚されて専業主婦をしていたものの、家事の傍ら在宅でこの仕事をされている方もいらっしゃいました。

 すでに、先人の方が実績を作られていましたので、この仕事を選択することに全く抵抗はありませんでした。

3.今後の僕の生き方

 さて、これまで転職する(生き方を変える)理由を説明してきましたが、僕がこれからの人生をどのように生きていきたいか綴りたいと思います。

  • 変化した優先順位に基づいて生きる
  • webデザインの知識の習得、いずれは在宅勤務・フリーランスに

変化した優先順位に基づいて生きる

 先ほども述べたように、人生の優先順位が完全に変わりました。

  1. 病気
  2. 家族、友人、仲間
  3. 仕事、お金

 今はこのような感じです。

 病気のことが一番であることは当然として、今まで濃密とは言えなかった、家族・友人との関係を再構築して、強固なものにしていきたいと考えています。

 今までどうしても仕事優先だったこともあり、仕事関係の付き合いが多く、家族・友人との関係は二の次にしてきましたが、それではいけないと気付きました。

 あと、難病を抱えている仲間。これから積極的に交流していきたいと思います。僕はまだ脊髄小脳変性症の家族会に参加したことはありませんが、今年の早い段階で一度出席しようと思っています(大阪の家族会に出席します。もしこのブログを見ている方で参加されたことがある方はコメントいただけましたら幸いです)。

webデザインの知識の習得、いずれは在宅勤務・フリーランスに

 優先順位が下がったとはいえ、仕事・お金が重要でないわけではありません。

 生活に不自由しない程度に稼ぐ必要ありますが、メインはやはり【webデザイナー】としての収入になると思います。

 実は今年の3月から、web系のスクールに通う予定でいます。webデザイナーに転職することは早いうちから考えていたものの、専門的な知識、技術を習得するために、スクールに通うことに決めました(最初は独学も考えていましたが、挫折しそうだったのでやめました)。

 webデザイナーになったのちは、デザイン会社などで仕事をしながら、デザイナーとしての経験を積んでいきたいと考えています。可能であれば、副業などでも仕事を受注し、在宅勤務、フリーランスで仕事を行える準備をしていきたいと考えています。

 これが僕の今後の生き方です(あくまで予定です)。すべてが順調に進む保証はありませんが、問題が発生した際には、そのつど柔軟に対処していきたいと思います。

 最後に、このブログの更新もそうですが、今できることを精一杯こなすことが大切なのだと思います。少しづつの変化が、いずれは大きな変化へとつながっていく。将来は不確定なことばかりですが、一つ言えることは「病気は確実に進行していく」ということ。今、変化する行動をとらなければ、たぶん僕は一生悔やむでしょう。

 人間には現状維持バイアスがあると言います。要所要所でそれに立ち向かい、勝利をおさめていきましょう!よりよい未来を手に入れるために!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

Vol.3【難病・脊髄小脳変性症】病気と働き方について①

 こんにちは、ぶれいめんです。

 今日は休日なので、ブログを更新しようと思います。

 前回は僕の病気の症状についてお伝えしましたが、少々文章が長くなってしまったので、今回はもう少し短めにコンパクトにしていきたいと思います。

 今回はこのような流れでお話ししていきます。

1.病気を発症する以前の僕 
2.父親の発病・病気の進行。
3.転職し、東京から大阪へ、そして発病。
4.現在の僕の働き方

1.病気を発症する以前の僕

 僕は2010年に東京の大学を卒業し、現在に至るまで10年余り商社の営業として働いています。営業職一本で仕事をしており、転職するまでは関東で一人暮らししていました。

 職場は東京・日本橋にあり、サラリーマンとして毎朝起床、満員電車に揺られ出勤、定時まで働き、たまに残業して、たまに同僚と飲みに行く、どこにでもいる普通のサラリーマンでした。

 仕事は商社ということもあり結構忙しく、国内出張はもちろん、海外営業も担当しており、韓国、タイ、ミャンマー、インド、シンガポールなどに出張し、忙しくも充実した日々を過ごしていました。

 この時期は特に自分の体調不良は感じることなく、どちらかと言うと、自分より父親の体調不良が気になりだした頃でした。その当時は静岡に実家がありましたので、たまに帰省していましたが、その時になんだか父親の歩き方、話し方がおかしいと感じる程度でした。その当時、父親は車の運転もしており、仕事もしていましたので、まあ膝が悪くて疲れてるんだろなくらいにしか感じていませんでした。

2.父親の発病・病気の進行。

 ただ、そのうち、父親に様々な症状があらわれ、親族の勧めもあり病院で診察を受けることになりました。そこで告げられたのが「脊髄小脳変性症」でした(病院を受診した時には既にある程度進行した状態で精密検査を受けるまでもなく診断がおりたようです)。全く聞いたこともない病名で、最初はなんじゃそりゃ?と思いましたが、調べていくと、どうやら進行性の難病で歩きにくくなる、喋りにくくなるとまさに父親の症状とぴったり合致することが分かりました。

 特に気になったのは、この病気は遺伝する可能性があるという点でした。しかしこの時の僕は仕事の忙しさもあり、まあ大丈夫だろと詳しく調べることはしていませんでした(父親も精密検査をしていなかったので、病気の型も判明していなかったのです)。

 そんなこんなで、父親が脊髄小脳変性症であることが分かり、車の運転ができなくなり、仕事も早期退職することになりました。一方、定期的に大学病院の診察を受けることになり、伊豆・修善寺にある順天堂大学病院に通うことになりました。僕も仕事をしながら、たまに父親の付き添いで診察に同行しており、症状を目の当たりにしていました(この時点で発病から7~8年だったと思われます。ふらふらしながらも自立歩行できており、ろれつが回らないながらも聞き取り可能な状態でした)。

 実際は遺伝性の脊髄小脳変性症ですので、この時期の僕にも少なからず影響が出ていた可能性はあります(視力が出にくいなど)し、遺伝しているかもしれないと気になってはいましたが、特に何もすることなく過ごしていました。

3.転職し、東京から大阪へ、そして発病。

 その後、2017年に転職し、大阪・淀屋橋で働くことになりました。転職の理由はいくつかありますが、一つは実家が静岡から奈良に移ったことにあります。父親の病気と定期的な通院(現在は奈良県立医科大学病院に通院中)を考えると、近くにいたほうが何かしら便利だと思ったからです。

 大阪・吹田市で一人暮らししながら、仕事は引き続き、商社の営業として国内、海外出張するなど忙しく過ごしていました。

 病気の発病までの経緯は、前回2月8日投稿の【難病・脊髄小脳変性症】僕の病気の症状についてにも記載していますが、改めて下記します。 

そもそも、僕が脊髄小脳変性症と分かったのも視力低下が原因でした。眼鏡を新調しようとして近所の眼科に行ったものの、なぜか視力が出ず、眼科から中規模の病院を紹介され、徹底的に目の検査をしましたが、それでも理由がはっきりせず、試しに脳のMRIを撮ったところ、小脳が委縮している脊髄小脳変性症の疑いありと診断され、大阪大学病院を受診することになりました。

 ちょうど転職してから2年弱が経過した時でした。その前からたまにろれつが回らなくなる時があり、気にはなっていましたが、一時的なものだったので、まあ、大丈夫だろうと思っていましたが、脳のMRIを撮ることになった時、”これは覚悟しなければいけないかも” と感じました。診断された時は、”ああ、やっぱり” という気持ちが強かったです。

4.現在の僕の働き方

 さて、現在の僕がどのように働いているかですが、毎朝出勤し、定時まで働き、帰宅する。大きくは普通のサラリーマンと変わりません。ただ、以下の点が変わりました。

  • 残業しなくなった。
  • 営業としての外出は減り、メール、電話メインで仕事をしている。
  • 朝、めまいがすることがあり、1時間休みや午前半休などを取得することが多くなった。
  • 外でお酒を飲まなくなった。

 一つずつ見ていきます。この病気のことは職場の上司、会社の産業医にも伝えており、その上で産業医からは基本的に残業NGと言われています。

 また、営業職として外出の機会が減り、社内で仕事することが多くなっています。これは会社に配慮していただき、調整してもらっているもので、病気の進行に応じて転倒のリスクが出てくるため、僕はまだそこまで進行していませんが、万一に備え、対応していただいています。

 配慮していただいているものの、たまに体調が思わしくなく、特に朝、起床時にめまいがすることがあり、体調不良で休みを取得することが増えました。これには精神的なものも影響していると思うので、一概に病気の影響だけとは言い切れないと思います。この話はまた別の機会にブログに記載したいと思います。

 最後に、外でお酒を飲まなくなった。これは主治医の先生から外での飲酒を止められています。これも転倒のリスクを踏まえたものですが、このおかげで毎月の交際費がぐっと減りました(笑)。その代わり、家では飲酒していますので、まったく飲んでいないわけではありませんが、飲酒の機会は格段に減りました(ちなみに、僕の両親は毎日ビールとチューハイ2本を欠かしません、これは完全にアル中ですね( ´∀` ))。

 さて、ここまで僕の働き方をお伝えしましたが、会社に配慮していただき、働きやすい環境を作っていただいていると思います。

 ただ、営業として満足に働くことができなくなり、さらに自分の症状の進行を考えると、今の働き方をずっと継続して良いものか?と、非常に悩みました。

 言い方は悪いですが、会社はずっと面倒見てくれるわけじゃない。病気であることは理解してくれるものの、日々の忙しさもあり、そればかり考えてはいられない(仕方ないことです)。であるなら、自分に投資して、自分の価値を少しでも高めることが重要ではないか。と考えるようになってきました。

 じゃあ何をするか? 次回の「今後の僕の生き方」で詳しくお話したいと思います。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!