Vol.12【難病・脊髄小脳変性症】遺伝子型について②

こんばんは。ぶれいめんです。

いやー、めっきり寒くなりましたね。前のブログでは暑い暑い🥵と言ってたのに季節の移り変わりが目まぐるしくて💦

実は少し前まで体調を崩してました。そのせいか、ふらつきも若干強く感じられ、現在、週1ペースで会社に出社しているのですが、在宅勤務に変えさせてもらいました。おかげでだいぶ体調は戻ってきました!今後も色々あるでしょうが…自分の体調を第一優先にうまく乗り切っていきたいですね。

 

あと、Twitterにも書きましたが、10月末に2回目のコロナワクチン接種をうけます(1回目は10月3日に接種済み)。

それから、2週間くらい間をあけて11月中旬に久しぶり(約1年ぶり!?)に、泊りがけで東京出張してくる予定です(緊急事態宣言も全面解除になりましたし)。会社の人事総務部との面談、そして視覚障害にマッチした、より働きやすい職場環境についてのアドバイスを実際に東京本社で働かれている方とface to faceで面談しながら(6月末に一回Teamsで面談しました)レクチャーしてもらう予定です。

少しでも自分の日常生活・主に仕事面でプラスになれば良いのですが、進行性であることも加味して柔軟に対処できればと思っています(この話は別途 「働き方について」で記載する予定です)。

また、私的な話ですが、東京出張の際には、こちらも だいぶ久しぶりですが、大学時代の友人と会うことにしています。夕食をともにしながら、今まであったことを色々話したいと思っています。思えば彼と最後に遊んだのが、僕が東京⇒大阪に移ってくるタイミングだったので、約4年ぶり?(SCDになって初)になります。全く気を遣わず、素の自分を出せる人なので、良いストレス発散になるのではないかと今から楽しみです。

 

さて、今回は前回に引き続き、「遺伝」について話していこうと思います。

前回は、SCDには遺伝型と孤発型があること、自分の病型の判明(SCA7)について話してきましたが、今回は各病型の説明などをしていきたいと思います。

*今回も専門用語が非常に多く、そして難しい話になるので、極力間違った情報を提供しないように引用多めでご紹介していきたいと思います。気になった点は一番最後の参照にリンクを貼っておきますのでご覧ください。

では、先ず以下の表をご覧ください。病型は大きく分けてこのような分類になっています。今回は左の遺伝性の部分に触れていきたいと思います。

その中で先ずは、常染色体優性遺伝性のものからですが、この中で日本人に最も多いのが、SCA3(マシャド・ジョセフ病)SCA6、SCA31、DRPLA(赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)の4種類で患者全体の8割を占めているようです。

✔ 優性遺伝性
  ・SCA1
  ・SCA2
  ・SCA3(マシャド・ジョセフ病)
  ・SCA6
  ・SCA7
  ・SCA31
  ・DRPLA(赤核淡蒼球ルイ体萎縮症) 他多数

✔SCA1

発症年齢は幼少~高齢まで大きなばらつきがあるが、30-40代の発症が多い。日本では比較的少ないが、東北地方に多く見られるとのこと。歩行障害などの小脳失調で発症、徐々に進行し、緩徐眼球運動、書字障害、ろれつが回りにくいなどが主症状。痙性(けいせい/手足のつっぱり)、腱反射の亢進(こうしん/勢いが増すこと)、嚥下障害(えんげ/食べ物の飲み込み、口から胃へと運ぶ一連の動作)、顔面筋の筋力低下(能面のように表情変化が乏しくなる)を持つこともあるようです。SCA2やSCA3と比べて、痙性や腱反射の亢進が目立つようで、CAG遺伝子のリピート伸長が長い場合は、若年発症が目立ち、進行スピードも速いようです(これはどの病型でも共通です)。

✔SCA2

発症年齢は幼少~高齢まで大きなばらつきがあるが、40代の発症が多い。日本では比較的少ないが、キューバに多く見られるとのこと。進行性の小脳失調(歩行障害、ろれつの回りにくさなど)を特徴とし,本型の最大の特徴は、眼球運動速度の低下にあるようです。また、末梢神経障害を伴うため、腱反射が低下します。症状の進行に応じて、筋萎縮(筋肉が痩せること)、筋線維束性攣縮(きんせんいそくせいれんしゅく/全身に起こる小さな筋肉の収縮)、振動覚障害(局所振動)を認めることも多く、前頭葉の機能低下がみられることもあり、それが痴呆につながることもあるようです。

✔SCA3(マシャド・ジョセフ病)

マシャド・ジョセフ病というのは患者の名前に由来しているようで、米国の複数のポルトガル人家系に共通して発症した症状であることに起因しています。日本ではSCA6とともに最も頻度の高い病型で、遺伝子座・病因遺伝子ともに日本の研究者により発見されたようです。進行性の小脳失調を持つことは先に述べた2つに共通ですが、付随する症状は実に多様なようです。眼球運動障害、びっくりまなこ、顔面筋・側頭筋の委縮、末梢神経障害、パーキンソン病様症状、自律神経障害(睡眠障害、インポテンツ、起立性低血圧など)、ただ明らかな痴呆は伴わないようです。

✔SCA6

優性遺伝の中でもSCA3に次いで罹患数が多いですが、病因遺伝子の機能解明も進んでいるため、将来的には病態解明、治療法の確立などが期待されています。地域差があるようで、特に西日本に多いとのこと。発症は50代と比較的高齢。遺伝性純粋小脳失調症とも呼ばれ、その名の通り症状には、歩行時のふらつき、ろれつの回りにくさ、めまい、自分と対象物までの距離の把握が難しく、ものがうまくつかめない、グラグラと動揺したりするようです。また、遺伝性純粋小脳失調症には、SCA5、SCA10、SCA11もあるようですが、SCA6と症状は似ています。繰り返しになりますが、SCA6は今後の治療法の確立が十分に見込める型です。実際、同一遺伝子の異常で起こる病気への有効な予防薬(アセタゾラミド)が開発されています。

✔SCA7

前回述べましたが、日本ではあまり症例がありません。症状としては小脳失調と同時に、黄斑変性を伴います。網膜色素変性症と合併している例もあると聞きます。視力低下、眼球運動障害、腱反射の亢進、深部感覚障害(筋肉や腱で感知した刺激をうまく脳に伝えることができない)などです。

ご参考:Vol.11【難病・脊髄小脳変性症】遺伝子型について①

✔SCA31

発症年齢が60代と比較的高齢であるのが特徴。長野県では発症例の半数がSCA31とのこと。本型のほとんどが日本で出現しており、アジアの近隣諸国にはほとんど見られず、欧米では1例も認められないことから日本特有のものであるようです。症状は小脳症状で歩行時のふらつき、ろれつの回りにくさなどです。 発症後10年以上経っても、多くの症例では小脳症状は進行するものの、他の神経系統に目立った障害を起こすことは少ないようです。そういう意味ではSCA31も純粋小脳失調症の一つと言えるのかもしれません。

✔DRPLA(赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)

かなり有名なので、皆さんご存知かもしれませんが、ハワイ在住の塩沢ファミリー(塩沢千秋さん(2017年に他界)、塩沢淳子さん、塩沢くりちゃん)の塩沢くりちゃんがこの病型です。彼女はまさに若年発症の典型例。たまにブログを拝見しますが、今はご自宅に戻られているようです。淳子さんの献身的なケアにも頭が下がりますが、まだ小さかった頃の元気なくりちゃんの姿を映像で見た時とのギャップに衝撃を受けたのを覚えています。本型の病因遺伝子は日本で発見されたようです。本型の特徴の一つに症状が多様、症状が発症年齢と強く関係していることがあるようです。20歳未満での発症の場合、不随意運動やけいれん発作(てんかん症状)、精神発達遅滞が症状として出てきます。成人発症の場合、歩行時のふらつき、震えなどの小脳失調、痴呆、不随意運動などが主症状となります。このように全く違った症状が出てくるため、同じ家系で別疾患が発生しているように見えることがあるようです。

 

さて、続いて常染色体劣性遺伝のものを見ていきたいと思いますが、これらの詳しい説明は割愛させてもらいたいと思います。

劣性遺伝に関する詳しい説明は名古屋セントラル病院のHPを参照ください。

✔ 劣性遺伝性 
  ・フリードライヒ失調症
  ・ビタミンE単独欠乏性失調症
  ・アプラタキシン欠損症
  ・セナタキシン欠損症
  ・シャルルヴォア-サグエ型痙性失調症 他

このような種類があるようですが、劣性遺伝性のSCDは、日本人では数%しか発症しないようです。欧米ではフリードライヒ失調症が最も多い(特にイタリア)と言われています。
一方で、日本ではフリードライヒ失調症の患者はいないようです。

ビタミンE単独欠乏性失調症は、小児期 or 思春期発症、40-60代の発症と2種類あるようで、ふらつき、ろれつの回りにくさ、細かい手指の運動が困難、震えなどは共通しているようですが、小児期では心筋症、40-60代では網膜色素変性症を合併することがあるようです。

 

次回は、孤発性SCDの症状、痙性対麻痺について見ていきたいと思います👋

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

参照:①脊髄小脳変性症の分類

SCD・MSAネット

③脊髄小脳変性症のすべて(日本プランニングセンター発行)

Vol.11【難病・脊髄小脳変性症】遺伝子型について①

こんばんは。ぶれいめんです。

9月13日から出されていた、19都道府県の緊急事態宣言と8県のまん延防止等重点措置が9月30日をもってすべて解除となりました。東京ではおよそ2か月半ぶり、沖縄ではおよそ4か月ぶりに宣言が解除されることになり、今年4月4日以来、およそ半年ぶりにどの地域にも宣言が出されていない状況となります。

皆さんの暮らしにはどう影響するでしょうか?

個人的には自粛の疲れかどうかわかりませんが、既に昨年4月に出された初の緊急事態宣言ほどの緊張感はなく、いい意味で我々国民はコロナウイルスとうまく折り合いをつけ、日常生活に戻っているように思います。席を一つ開けて座るなどのソーシャルディスタンスはもう当たり前のものになりましたよね。

コロナワクチン接種の広がりもあって、直近のコロナウイルス新規感染者数は、東京82人、大阪124人、福岡31人とのことです(参照:NHK特設サイト 新型コロナウイルス)。かくいう僕の勤務先も緊急事態宣言下での出社率は30%まで落とすように指示が出ていましたが、宣言解除後は70%まで出社率を上げて構わないと通達が出ました。

一方で、これから寒い時期が到来します(これを書いている今現在、大阪は30℃ありますが💦)。第5波、第6波が懸念されるところですが、引き続き気を引き締めて、手洗い・うがい・アルコール消毒など身の回りの出来ることから、自衛していきましょう!

 

さて、今回は脊髄小脳変性症の「遺伝子型」について、話していこうと思います。長い話になりそうなので3回に分けます。今回は自身の遺伝子型が判明した話をしようと思います。

非常に専門的で難しい話になります。極力間違った情報は提供しないように努めていますが、参考資料のリンクを貼っておりますので、気になった点がありましたら、そちらを見てみてください。

✔ 遺伝性と孤発性について
✔ 遺伝子検査開始~判明まで
✔ SCA7について

✔遺伝性と孤発性について

脊髄小脳変性症(以下SCD)には大きく分けて、遺伝性と孤発性の2種類があります。

●遺伝性

全国で約3万人患者がいる中で、およそ1/3が遺伝性のSCDです。常染色体優性遺伝、常染色体劣性遺伝、X連鎖性遺伝、ミトコンドリア遺伝などの遺伝形式で受け継がれるようですが、いずれも原因は病因遺伝子の働きにあるようです。遺伝子変異の中で多く見られるのは、DNA配列における3~5塩基程度の繰り返し配列が長く起こる、というものです。DNAの塩基には、アデニン (A) 、グアニン (G) 、チミン (T) 、シトシン (C) の4種類がありますが(昔、理科でやりましたね。懐かしい!)、この中の特定パターンの遺伝子の組み合わせ配列が異常に長くなります。

さて、親→子供への遺伝確率についてですが、どちらかの親が病因遺伝子を保有している前提で、常染色体優性遺伝の場合、子供への遺伝確率は50%となります。

さらに、先に述べたDNAの異常伸長が長ければ長いほど、発症年齢は若く、そして重症度もあがります。例として、親世代は発症年齢が50代であったものが、子世代では発症年齢が40代になるというものです(専門用語で表現促進現象と言います)。これは自分自身にもよく当てはまります。父親が僕の年齢だった頃を思い出すと、こんな病気であることは微塵も感じられませんでした。父親の発病を40代後半としても、僕は10歳程度 弱年齢化して発病しているものと思います。

最後に、遺伝性SCDの発病型には主に以下のものがあります(特に日本で患者が多いもの)。

SCA1、SCA2、SCA3(マシャド・ジョセフ病)、SCA6、SCA8、SCA12、SCA17、SCA31、SCA36、DRPLA(歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)。

●孤発性

全国で約3万人患者がいる中の残り、およそ2/3が孤発性SCDです。孤発性とは、家族歴がみられない場合を指します。具体的には、両親、兄弟姉妹、子ども、および、祖父母、叔父・叔母、おい・めい、孫内に似た症状の人がいないことです。

孤発性SCDのほとんどは、多系統萎縮症(MSA)または、皮質性小脳萎縮症(CCA)と診断されており、ともに青年期以降に発症します。孤発性の場合、生活習慣との間に明らかな因果関係は見られず、病気の進行を左右するような生活習慣なども分かっていません。遺伝性と違いDNAの検査で病型を診断できるケースは非常にまれなようです。

孤発性には以下のものがあります。

皮質性小脳萎縮症、アルコール性小脳変性症、癌性小脳変性症、多系統萎縮症(オリーブ橋小脳萎縮症・線条体黒質変性症・シャイドレーガー症候群の総称)

参照:①遺伝性疾患プラス

難病情報センター

③脊髄小脳変性症のすべて(日本プランニングセンター発行)

 

✔遺伝子検査開始~判明まで

●2019年7月

以前の投稿記事内で、大阪大学病院へ通院開始するまでの経緯について話しました(参照:Vol.3【難病・脊髄小脳変性症】病気と働き方について①)が、もともと ものが見えにくいことから始まって、頭部MRI撮影を行ったところ、小脳萎縮が見つかりました。父親の病状と照らし合わせた結果、これは遺伝性SCDで間違いないと告知を受けました。

●2019年10月

その後、診察を重ねていきましたが、どうも目が見えにくい原因がはっきりわからない。次第に “これはSCDの症状の一つなのでは?” と思い、主治医に相談し、遺伝子検査を行うことになりました(ちなみに、父親は遺伝子検査を行っておらず、病型が分かっていませんでした。遺伝性の場合、親と同型のパターンが多いようです)。

主治医を通してJ-CATに病状登録、国立精神・神経医療研究センターに検査を依頼しました。

ちなみに、J-CAT(Japan Consortium of Ataxias)とは・・・

厚生労働省の研究班を中心として運営される、脊髄小脳変性症を中心とした運動失調症の登録(レジストリ)システム。
患者の臨床情報を登録、診断の為に必要な遺伝子検査を行う。定期的に臨床症状の評価を行うことで、病型別の自然歴を明らかにすることを目的にしている。

●2020年8月

当初は、”長くても半年程度で結果が分かる” と言われていましたが、コロナウイルスの感染拡大に伴い、結果が出るまでに約一年かかりました💦 ただ、この時の検査結果は、日本人に一般的な型(DRPLA、HD、SCA1、SCA2、SCA3、SCA6、SCA8,SCA12,SCA17,SCA31,SCA36)のいずれにも該当しないというものでした。この11種類は日本国内のSCD型の70-80%をカバーしているようで、このいずれにも該当しないということは残り20-30%、特に視覚障害を合併する型が怪しいのでは?ということになり、SCA7にピンポイントであたりをつけ、再検査を行うことになりました。

●2021年1月

いよいよ再検査の結果が判明します。結果は・・・「SCA7であることにほぼ間違いない」というものでした。検査依頼から約1年半、ようやく自分の型が判明しました。合わせて、ものが良く見えない(視力が出ない)症状も、やはりSCDが原因であったんだと分かり、今までのもやもやが一気に晴れていく気分でした。病型が分かったからと言って、根治ができるわけではありませんが、少なくともこれからどういう症状が出てくるのか、おおよそ予測できます。(アンパンマンの歌詞じゃないですが)何だか分からないまま、病状の進行だけを傍観しているのは絶対に嫌だったので… まぁ、これは僕の性格的なものですね💦

✔SCA7について

やっと遺伝子型が分かり、一安心と言いたいところですが、それほど安心もしていられません。

というのも、このSCA7というのは日本では非常にまれな型らしく(欧米が多い)、同型の患者が非常に少ないのです。主治医からも “おそらく阪大では初めての症例”と言われました。

当時の僕はネットや文献などでSCDについて調べまくっていましたが、確かにSCA3やSCA6のレポートは良く見るのに、SCA7について書かれたものは一切(と言っていいほど)ない。ただ、先に紹介した「脊髄小脳変性症のすべて」という本の中には、以下のような記述がありました。

SCA7は頻度の低い疾患で、本邦においてもきわめて稀な病型です。臨床的には黄斑変性を伴います。初期症状は小脳失調もしくは視力低下で進行とともに眼球運動障害、腱反射亢進、深部感覚障害などが出現し、やがて失明します。痴呆や不随意運動、パーキンソン病様症状は稀です。表現促進現象が顕著な点もこの病型の特徴です。原因は第三染色体短腕にあるSCA7遺伝子中のCAG反復配列の異常伸長と考えられています。                   (一部変更し「脊髄小脳変性症のすべて」より抜粋)

自分が抱えている症状にぴったり合致します。最初は視力低下からはじまり、黄斑変性(色素網膜変性症)により視神経委縮を生じる。表現型が顕著というのも うなづけます。というのもこの時期、僕の父親も遺伝子検査を行っており、SCA7という僕と同じ病型と判明します。ただ、今の僕と同年齢の父親を比較すると、父は眼鏡もしておらず(当然 遮光眼鏡もしていない)、何より病気とは分からないほど元気でした。今の僕とは大違いですが、これも顕著な「表現促進現象」のためと考えれば納得がいきます。また、CAG反復配列という言葉はJ-CATから送られてきた報告書内にも記載がありました(具体的なリピート数も書いてありましたが、ここでは伏せておきます)。

然しながら、最も気になっている そして 恐ろしい言葉が “やがて失明します” というもの。最初読んだ時は、えっ!マジかいな…と相当落ち込んだことを覚えています。

ただ、これについては、正直今の段階では半信半疑です。失明すると言っても「まったく視力がなくなる~社会的に失明する」まで様々なレベルがあります(僕の場合、既に視覚障害者手帳も持っていますし、眼鏡なしでは回りがぼやけて良く見えませんので、社会的失明に近い状態だと思いますが…)。

先に述べたように、日本人にはSCA7の方があまりおらず、ゆえに、この型に関する研究もあまり進んでいないのでは?と思います(米国では1件、治験報告があるそうです)。したがって、実際の症状はケースバイケースで微妙に異なってくるのではないかと思っています。正直、今の状態から完全に失明することは想像できず、この記述は間違いであって欲しいと願うばかりです(実際、僕の父も悪いなりに目は見えているようですし…)。

 

最後に、これは僕の希望ですが、SCA7の患者は絶対数は少ないかもしれませんが、僕と同じように悩みながら生きている方が確実に存在します。今後、他の型と同じようにこの型の研究が進み、根治できる日を迎えるために、これからの自分の症状の変化は逐次記録しておきたいと思います。医療関係者の方で、もしこのブログを見られた方は、どうか このような考えを持っているSCA7の患者がいること を覚えておいていただければと思います。

このブログのコメントでも結構です。Twitter、Facebookでも結構です。僕に望むことがあれば遠慮なく連絡してください。近い将来きっとこの病気で苦しむことがなくなる・根治可能な病気になることを信じて、喜んで様々な研究(治験)に協力させていただきたいと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回も、引き続き「遺伝子」をテーマに話していきます👋

Vol.10【難病・脊髄小脳変性症】引っ越しました

こんばんは。ぶれいめんです。

本日10月3日(日)はコロナワクチン接種(1回目)に行ってきました。大阪市の集団接種で会場は心斎橋、ワクチンは武田/モデルナ社のものです。

このブログを書いている今現在、接種から5時間程度経過していますが、接種した腕に少し違和感あるかな~くらいでそれ以外は何ともありません。ただ、接種翌日~数日後に痛みや痒み、発疹が出る方も少なくないようなので(いわゆるモデルナアーム)、引続き注意しながら過ごしたいと思います。ちなみに、ワクチン接種明けの明日は特別休暇で仕事は休みです\(-o-)/

それにしてもイヤになるくらい暑い🥵!。先ほどまで外出してましたが、会場に着くまで汗だらだら(迷って遠回りしたせいもあり💦)。大阪は31℃あったようです。朝晩は冷房いらずですが、日中との気温差はやっぱり辛い。体調崩し気味の自分は、相変わらず咳が止まりません。しばらくはこんな天気が続きそうなので、皆さんも体調にはお気を付けください。

 

さて、今回は、自分の生活に関すること。「引っ越した」ことについて話そうと思います。

今までに何回くらい引っ越したんだろう?と思って、数えてみました。こんな感じです。

✔ 埼玉県内 ・・・ 3回
✔ 東京都内 ・・・ 1回
✔ 千葉県内 ・・・ 1回
✔ 大阪府内 ・・・ 2回

今までに合計7回。19歳~37歳までの18年間に7回だから、一ヶ所あたり平均2.5年住んだ計算。う~ん、若干多いかなという印象です。

✔埼玉県内

先ずは埼玉県内での引っ越しです。はじめての引っ越しは大学入学の時です。実家の静岡→埼玉にやってきました、その後、大学卒業までそのアパートに住んでいましたが、社会人になったことをきっかけに二度引っ越します(埼玉県内の同じ市内ですが…)。一度目の引っ越しはトラブルがらみで入居して一ヶ月程度ですぐ引っ越しました。二度目の引っ越し先には二年程度住んでいましたが、隣の部屋の火災という予期せぬアクシデントで引っ越しを余儀なくされます。

✔東京都内

引っ越し先は東京に決めました。会社から住宅手当が支給され始めたことをきっかけに、都内へ移り住みます。そこで三年程度生活していました。都内ということで、どこへ行くにもアクセスが良く、家賃は高めでしたが、非常に暮らしやすかったです。ただ、この時期は仕事が非常に忙しく、週6日勤務・海外出張など あちこち動き回っていました。

✔千葉県内

その後、千葉に移り住みます。理由は、会社から住宅手当が支給されなくなったこと(会社の規定で入社5年目までと決まっていました)、それまで、ずっと1Kのアパート住みだったので、もう少し広い場所に移りたいと思い、家賃と職場への通勤時間を考え、千葉に決めました。ただ、移り住んでから ほどなくして、大阪の今の会社へ転職をしますので、実質千葉に住んでいたのは一年程度。一番短かったです。

✔大阪府内

大阪へ移り住んだ(転職した)きっかけは、以前にも書いた通り、実家が静岡→奈良に移ったこと、父親の病状悪化が一因です。

大阪では、先ず江坂(吹田市)で生活を開始します。三年半程度住んでいました。職場は淀屋橋でしたので、通勤しやすく住み心地も悪くなかったです。またこの時期は、僕自身への病気の遺伝が判明した時期でもあり、通院先となる大阪大学病院にも近い場所にありました。

参照:Vol.3【難病・脊髄小脳変性症】病気と働き方について①

ただ、昨年11月に大阪市内へ引っ越しました。以前から度々実家に帰っていましたが、より帰りやすい大阪市内に引っ越すことを決めます。時期的にはコロナウイルス感染拡大の真っただ中でしたが、僕が引っ越した11月はちょうど感染拡大が落ち着いたタイミングで、引っ越すならこのタイミングしかない!と思って動きましたが、周囲も僕と同じことを考えていたようで、気に入った物件があってもなかなか押さえられず、決まるまでに四苦八苦していました。最終的には、家賃も下がり、部屋も広めの良い物件を見つけられました。

 

今回の引っ越しで今までと一番違うなと感した点は、「体に無理がききにくくなった」ということ。今までは引っ越しの一週間くらい前になって、一気に荷造りを開始し、当日を向かえていましたが、以前と同じ方法では体がついていかず(それでも何とか当日に間に合わせましたが)体への負担ががとても大きかったです。

すべて病気のせいとは思いません。コロナの時期でもあったので、たまたまその時体力が落ちていただけかもしれません。ただ、引っ越しだけに限らず、「以前と同じように出来なくなっている」ことが少しずつ増え始めています(歩行、喋り、筆記、視覚など)。これからは今まで以上にしっかりした計画を立てて、物事をこなす必要があると感じています。

あと、家族などの頼れる存在にはどんどん頼っていこうと思います。もちろん出来ることは自分でやるのが基本ですが、自分の体のことを考えると、これから家族に頼る部分もだんだんと増えてくると思いますので、病状が変化(進行)していくのをただ見ているだけではなく、自分自身もそれに合わせて変わっていかなければならないと思っています。

それでは今回はこのあたりで👋

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

Vol.9【難病・脊髄小脳変性症】遮光眼鏡を作成しました

こんばんは。ぶれいめんです。

前にも書きましたが、季節の変わり目には必ずと言っていいほど、咳が止まらなくなります。これを書いている今もそう。咳止めを飲みながら書いていますが、昔から(いつぐらいか忘れましたが)ずっとそんな調子で、腹筋が筋肉痛になるぐらい咳き込みます。先日ネットで調べてみましたが、もしかして咳喘息では!?と思っており、今度、主治医に話してみようと思います。

さて、今回は「遮光眼鏡を作ったこと」について話します。

前回、視覚障害者手帳を作ったことについて書きましたが、手帳取得後に遮光眼鏡を作りました。外出時などに光のまぶしさが気になっており、それを少しでも緩和させるために、眼科の主治医と相談の上、遮光眼鏡の処方箋を書いてもらいました(眼の状態については近視・乱視も入っており、それも少し進行していたようです)。

遮光眼鏡とは

最初に遮光眼鏡とは何ぞやということに触れたいと思います。

遮光眼鏡とは、「まぶしさを軽減させる色のついた眼鏡のこと」です。

一般的なサングラスは、明るさを感じるための光まで抑えてしまい、視界が暗くなりすぎることがありますが、遮光レンズは まぶしさの要因となる短波長光の透過を選択的に抑える働きがあるため、サングラスに比べ明るさを確保します。遮光眼鏡の効果は以下の通りです。

【効果】

1.暗くならずにまぶしさを抑える
2.視力低下を軽減させる
3.コントラストを改善させる

また、まぶしいという訴え以外にも、「横断歩道が見えにくい」「階段などの凹凸が見えにくい」「標識が見えにくい」という訴えにも対応しています。

レンズの色について

さて、これから遮光眼鏡を作ろうと思っている方。遮光レンズにも様々な色があります。

上の写真が全てではありませんが、色は約26色展開しており、大きくイエロー、ブラウン、グリーン、グレー、パープル系の5に分類されます。

色の種類によってカットする波長が異なるようで、以下のような効果があります(僕はグレーのレンズを選びました)。

✔️イエロー、ブラウン、パープル・・・コントラストを高める効果に優れる

✔️グレー、グリーン・・・色調変化が少なく、防眩効果に優れる

さて、実際にかけてみた感想ですが、当たり前ですが、以前より幾分見えやすくなったと思います。僕は遮光レンズが入っているものと、入っていないもの 二つ作りました。職場では遮光眼鏡は目立つかな?と思い、遮光レンズなしのものも作りましたが、僕が作ったグレーのレンズの眼鏡は外観的に全く気にならず、結局は遮光レンズ有りのものを常用しています(個人的な意見ですが、働いている方、かつ どの色のレンズでも大差ないという方はグレーのレンズが良いかもしれません)。

これから作られる方は、実際に試着してみて(医療機関等で処方されることが一般的なので、試着は必ず行います)、どの色が一番使いやすいか、自分に合っているか試されてから購入することをお勧めします。

参考:埼玉医科大学病院 眼科

作成手順

次に作成手順としては、以下の通りです。

1.医療機関等で処方箋を書いてもらう
2.眼鏡屋に行き、遮光レンズの処方可否を確認。
3.処方可なら、フレームと合わせ見積書を取得
4.管轄の役所で作成費用補助申請を行う
5.補助決定通知が来たら、眼鏡屋で作成依頼を行う

2.の眼鏡屋についてですが、どこでも作成できるというわけではありません。JINSやZoffなどでは遮光レンズの処方ができなかったと思います。僕はメガネの三城(堺東本店)で作成しました。

また、4.ですが、管轄の役所に登録のある店舗で作らないと補助費用申請ができませんので、注意が必要です(実際、僕も当初はパリミキ・江坂店で依頼をしましたが、その間に吹田市→大阪市に引っ越したため、最終的にはパリミキ・堺東本店で作成しました)。

そして、補助費用ですが、作成者側は「定額一割の負担」となっているようですが、所得等に応じた負担上限額が設定されています。僕の場合、働いており、一定の収入があったため、これに該当しました。作成費用総額10万円程度のうち、5-6万円程度が自己負担であった気がします(高い!💦)。 以下は大阪市の支給概要です(必ずご自身のお住まいの役所の支給内容をご確認ください)。

 

大阪市の場合

✔概要・内容

身体障がい者手帳の交付を受けた方や障害者総合支援法の対象疾病(難病等)のある方に失われた身体機能や損傷のある身体機能を補うための用具(補装具)の購入、借受けまたは修理にかかる費用を支給します。

※ただし、障害者総合支援法以外の関係各法(介護保険法や労働者災害補償保険法など)により装具が交付される場合は除きます。

✔支給内容

支給の対象となる補装具

支給対象品目一覧
障がいの種別 補装具の種類
視覚障がい 視覚障がい者用安全つえ・義眼・眼鏡
聴覚障がい 補聴器・人工内耳(人工内耳用音声信号処理装置の修理に限る。)
肢体不自由 義手・義足・座位保持装置・車椅子・電動車椅子・歩行器・歩行補助つえ
肢体不自由(18歳未満のみ) 座位保持椅子・起立保持装置・頭部保持具
呼吸器または心臓機能障がい 車椅子・電動車椅子
肢体不自由かつ言語機能障がい
※難病等のある方については、音声言語機能障がい及び神経・筋疾患である方
重度障がい者用意思伝達装置

※借受けの対象は以下の補装具のみです。

① 義肢、装具、座位保持装置の完成用部品

② 重度障がい者用意思伝達装置

③ 歩行器

④ 座位保持椅子

※厚生労働省が定める補装具の基準については、厚生労働省ホームページ別ウィンドウで開く からご覧ください。

✔対象者

身体障がい者手帳の交付を受けた方、難病等のある方。

✔利用料(費用)

利用者負担額は、定率1割負担となっています。ただし、所得等に応じた月額負担上限額が設定されています。

作成依頼してから、一ヶ月程度(2021年3月中旬)で出来上がったような気がします。

 

さて、今回は遮光眼鏡について話してきましたが、目の見えにくさが脊髄小脳変性症の症状の一部である以上、今後も眼の症状は進行していくものと思います(病型についてはまた別途詳しく話します)。それにより、これからも定期的に遮光眼鏡を新調する必要が出てきます。

それは、ある程度仕方ないこととして受け入れているつもりですが、未だ日常生活・仕事で目が見えにくいことへのいら立ち、そこから気分が落ち込むことも多々あり、完全には受け入れきれていないんだと思います。

医学の進歩は日々めざましく、(難病)患者が受けられるサービスも日々進歩しているものと思います。遮光眼鏡のように自分のQOL(Quality of Life)を向上させてくれるものは積極的に活用すべきと思いますが、一方で、結局は、自分の考え方・気持ち(難病とどう向き合うか)次第であるような気もしています。

サービスやメリットを生かすも殺すも自分次第、いくら病状が進行しても、僕は、「自分のQOLを向上させるための努力」を決して怠らないつもりです!

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた次回👋

Vol.8【難病・脊髄小脳変性症】視覚障害者手帳を取得しました

こんにちは。ぶれいめんです。

最近、めっきり秋めいてきましたね。朝晩は少し寒いくらい。昔から暑さに弱い自分としては過ごしやすい季節は大歓迎なのですが、季節の移り変わりの早さになんだか少し寂しい気もしています。今年も残すところ、あと3ヶ月ちょっとですよ!? 本当にあっという間に一年が終わってしまう…😢

復活2回目は「視覚障害者手帳を取得したこと」について話そうと思います。

プロフィールにも書いたように、僕は大阪大学病院の神経眼科も受診しています。通院が始まったのは、2019年10月からです。当初は神経内科のみの受診でしたが、目の見えにくさも症状として抱えていたため、神経内科の主治医に相談。眼科を紹介してもらいました。

参照:Vol.2【難病・脊髄小脳変性症】病気の症状について

受診頻度は3ヶ月に一回程度で、一般的な検査(視力、視神経、眼圧、視野検査、写真撮影など)を行った後、主治医の診察となります。大学病院はどこも待ち時間が長いものと思いますが、特に眼科は待ち時間が長い! 神経内科は主に高齢者が患者であることが多いように感じますが、眼科は子供~高齢者まで幅広く受診しており、患者の数は神経内科より圧倒的に多いのが僕の印象です。あと、神経眼科の専門医が相対的に少ないということもあるようです。

そんなこんなで、受診スタートとなったわけですが、視力低下(視神経委縮)の理由はいまいち よく分からなかったというのが結論です。のちに、この視力低下は脊髄小脳変性症に起因するものと分かるのですが、この段階では、遺伝子検査の真っ最中であり、病型も分かっていなかったのです。ただ、見えにくさがあるのは事実、僕は主に以下のような自覚症状を感じていました。

1.まぶしさ(視界が白っぽく見える)
2.目の中心が見えない(中心を外すと少し見えやすくなる)
3.薄い色が見えにくい(黄色→緑のように見える)

少しでも、これら症状を緩和させるために、以下のようなことをしています。

1.部屋を暗めにする(日中でも自室のカーテンは半開き)
2.定期的な点眼(目薬)
3.パソコンの文字を大きくする(スマホはズーム機能を使用)
4.パソコン画面の背景は黒く、文字は白くしてコントラストを強調する

このブログをはじめ、僕が使うPC、スマホは全てこのような設定に変えています。普通の方には逆に見にくいかもしれませんね💦 すみません、ご容赦ください。すべて対処療法ですが、このようにして日常生活、仕事も今のところ何とか乗り切っています。

あと、これら症状を抱え、目を酷使している結果、日常的にひどい眼精疲労を抱えています。定期的にマッサージに行き、後頭部をほぐしてもらっていますが、根本的な改善は望むべくもありません😢

 

さて、眼科の受診が始まって、一年程度経過した時、ついに主治医から僕の眼の状態が障害者手帳を取得できるレベルであることを知らされます(今思えば本当はもっと早く取得できたんじゃないか?とも思いますが…)。「矯正視力で左右各々0.1以下」の視力であったため、等級は「4級(1種)」*1 となりました。すぐに申請を行い、2020年10月末に障害者手帳が手元に届きました。これで僕も立派な?障害者となったわけですが、正直ショックというのは全くなかったです。そりゃそうだよな…というのが正直な気持ちで、むしろ障害者手帳を得たことで受けられるメリット(大阪市営バス・地下鉄 or タクシー割引、新幹線などの乗車券の値引き*2)を考えると、あるべきところにやっと落ち着けたという安心感もあったような気がします。

*1 障害等級表|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

*2 障害者割引制度のご案内:JR東日本 (jreast.co.jp)

一方、障害者手帳を取得したことで、会社にも報告しないといけません。東京本社の人事総務部、産業医にも報告。それまでは、一般雇用であったものの、これをきっかけに障害者雇用に変えられるのでは?と覚悟していましたが、そうはなりませんでした(この詳細はまた別にお話しします)。

また、現在、僕は視覚障害者手帳のみ所持していますが、将来的には身体障害者手帳も所持することになるため、手帳も2つ持ちということになります。2つ持っているからと言ってなんの自慢にもなりませんが、享受できる福祉サービス等に変化が出てくるのか、きちんと把握しておこうと思います。

健康であることが一番良いのは言うまでもありませんが、こうなってしまった以上、体の不自由さと引き換えに享受できるメリットは最大限に使っていきたいと思っています。「かしこい障害者」になることで自分はもちろん、将来的には家族にかける負担も最小化できるものと考えています。

それでは、今回はこのあたりで。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

Vol.7【難病・脊髄小脳変性症】ブログ再開します!

 お久しぶりです。ぶれいめんです。

しばらくブログの更新をストップしていました(1年半ぐらいかな?)が、この間 実に色々なことがあり、これはどこかに記録しておかねば!と思いましたので、この度ブログを再開しようと思います。

自分の携帯などには、これまでやってきたこと・これからすべきこと(ToDoリスト)を記録し、日々見返してはいるのですが、ブログを始めた初心に立ち返り、皆さんと情報共有することで少しでも同病の方の力になればと改めて思っています!

この間にあった主な出来事を、思いつく限り列挙してみました。

1.視覚障害者手帳を取得
2.遮光眼鏡を作成
3.引っ越し
4.SCDの遺伝子型が判明
5.職場での働き方の変化
6.障害年金3級の申請

 

こんなところかな?

まだ色々あるような気もしますが、その時はまた追加して話していこうと思います。とりあえず、今思い浮かぶのはこれくらいです。

あと、僕の基本的な状況というのは変わっていません。通院先は大阪大学医学部附属病院の神経内科と神経眼科で、ひと月 か ふた月に一回はどちらかの科に通院しています。また、仕事にも変更はありませんが、営業→内勤業務に変わり、コロナウイルスの感染拡大とも相まって、在宅勤務メインで仕事をしています。

あと、このブログは、主に僕が今の状況を皆さんにお伝えする場ですが、もし個別で知りたいことがあれば遠慮なく連絡していただければと思います。Twitterもやっているので、そちらのDMなどでも構いません(トップページにTwitterのリンクが貼ってあります)。

復活、一発目 かつ 相当長い期間が開いてしまったので、wordpressのやり方(投稿の仕方)はじめ、多々忘れていることがあり、四苦八苦しています💦 少しでも見やすいサイトにしたいと思っていますが、素人にはなかなか難しいですね😢

できれば毎週(もしくは隔週)、土曜日 か 日曜日に何かしら投稿しようと思っていますので、お暇つぶしにでもご覧ください。前回は一ヶ月程度で更新しなくなってしまったので、そうならないように「継続」することを目標にやっていきたいと思います。

それではまた! 良ければお付き合いくださいね( ´∀` )!

Vol.6【難病・脊髄小脳変性症】服用中の薬について

 こんにちは、ぶれいめんです。

 ツイッターにも書きましたが、現在、虫歯の治療をしています。

 子供のころから、虫歯知らずで、良い歯をしているということで幼稚園の頃?に表彰されたこともあります。中学生の頃に一度歯石取りをしただけで現在に至るまで20年間ずっと放置していました( ´∀` )

 勝手に自分は虫歯にならないだろうと思っていましたが、2年前メントスを噛んでいる時に歯が欠け、昨年秋頃に急激に痛みが増し(2年間放置していました…)、ついに近所の歯医者へ。そこで大きな虫歯が判明し、治療を受けることになりました(左上に大きな虫歯が1本、その他奥歯に小さな虫歯が3本)。

 今日の治療で歯の型どりをし、次回の治療で被せもの(銀歯)し、3月中には治療完了する予定です!

 さて、前置きが長くなりましたが、今回は僕が現在どんな薬を服用しているかお伝えしたいと思います。

 今回はこのような流れでお話しします。

1.病気になる前
2.現在、服用している薬
3.今後について

 

 では、早速始めます。

1.病気になる前

 病気になる前の僕は特に大きな病気をしたことはなく、冬でも短パンで過ごすような健康優良児でした。

 僕の生まれは静岡・御殿場で静岡は温暖な気候で有名ですが、御殿場は珍しく雪が降ります。今は温暖化の影響で雪もあまり降らないようですが、僕が子供の頃はたまに大雪になるときがあり、多い時で50cm程度雪が積もることがありました(雪国の方に比べれば全然大したことないと思いますが。)。

 話が逸れましたが、そんな場所で小・中・高と過ごし、たまに風邪を引くぐらいで 常時薬を飲み続けるような大病とは縁がなく過ごしていました。

 大学に入ってからは一人暮らしするようになりましたが、ここでも特に大きな病気はせず、普通の大学生として生活していました。

 その後、会社員として就職しますが、たまに受ける健康診断で、コレステロ―ルや中性脂肪が高めといわれるぐらいで、ここでも特段健康状態を気にすることはありませんでした。

 ちなみに僕の父母、兄弟も大きな病気はしていません。

 このように病気と分かる前の僕は、大きな病気や薬と縁がなく、たまに風邪を引くぐらいで自分の健康状態には無頓着で過ごしていました。

2.現在、服用している薬

 その後、自分が脊髄小脳変性症と分かり、様々な症状を自覚するようになります。

 現在は月1回、大阪大学医学部付属病院に通院していますので、ここで僕が処方されている薬を紹介したいと思います。

神経眼科から処方されている薬

  • フラビタン錠(ビタミンB2)
  • 点眼液

フラビタン錠(ビタミンB2)

 朝・昼・晩と1日3回服用しています。

 (おそらく)脊髄小脳変性症の影響で視神経にも影響が出ていることは以前お話ししたかと思いますが、この薬は、ビタミンB2欠乏による粘膜の炎症を改善するための薬です。

 これを飲んでクリアに見えるようになっているわけではありませんが、視神経の萎縮を治療することは困難なため、少しでも症状が緩和するように、薬を処方してもらっています。

 また、これとは別にサプリメントも飲んでいます(DHCの健康食品/ブルーベリーエキス)。これは朝・晩2回飲んでいます。

点眼液

 いわゆる「疲れ目」に効く目薬で、薬局で購入できるものとそれほど変わらないと思いますが、価格的には病院で処方してもらったほうが断然安いですね。

 これも朝・昼・晩と1日3回点眼しています。

神経内科から処方されている薬

  • ペタヒスチンメシル酸塩錠
  • タルチレリン(セレジスト)

ペタヒスチンメシル酸塩錠

 これは脊髄小脳変性症の症状からくる「めまいを軽減」する薬です。朝・昼・晩と1日3回服用しています。

 病気の症状の一つとして、特に起床時に起き上がろうとするときに「めまい」を感じることがあります。

 これが原因で起き上がるまでに少し時間がかかることがあり、会社に時間休などをもらうことがありました。

 この薬を服用してからは、このような「めまい」を感じることはなくなり、起き上がるのに苦労することが少なくなりましたので、個人的には効果があったと感じています。

タルチレリン(セレジスト)

 脊髄小脳変性症の「ふらつき軽減」の薬です。2月上旬に難病申請したことで処方されるようになりました。

 僕が処方されているのはジェネリック品でその名前が「タルチレリン」と言います。小脳障害によって体の動きが悪くなるのを改善する作用があります。

 僕の父親もそうでしたが、以前は新薬としてのみ処方されていたようですが、最近ジェネリック品が出たようです。

 ご存知のようにこの薬は非常に高価なため、難病申請後に処方という流れが一般的だったようですが、ジェネリック品ということで「価格面」で非常にメリットがあります。 

 たしか新薬は1錠2000円前後するのではないかと思いますが、このジェネリック品は1錠430円で約1/5の価格で手に入ります(それでも普通の薬と比べると十分に高いですが…)。

 僕は2月18日から処方開始されていますが、とりあえず1ヶ月分ということで総額は8600円程度だったと思います(新薬の場合は、1ヶ月分で40000円程度だと思います)。

 ジェネリック品が出たことで一番大きいのが先にも述べた「価格面」であることは間違いありません。

 症状を自覚していても、主治医に申請書を書いてもらい、保健所に申請するまで少なくとも2ヶ月は要すると思います(いわゆる大病院で診てもらっている方が大多数だと思いますので、どうしても時間がかかりますよね)。その間にも症状が進行する可能性があり、一刻も早く薬を手に入れたい患者側としてみれば「価格面」でハードルが下がり、早くから薬を飲み始めることができるのは非常に大きなメリットであると思います。

 ちなみに、この薬は朝・晩の2回服用です。 

 最後に、今まで述べた薬の効用はあくまで僕自身の個人的な感想です。各薬には当然副作用がありますので、自分の体質に合っていない、副作用が強いと感じた場合は主治医に相談してください。

3.今後について

 さて、ここまで現在服用している薬について話してきましたが、今後については、とりあえずは今服用している薬を飲み続けたいと思います。

 特に「タルチレリン」については、現在処方されて2週間たっていない状態ですので、今後の経過を注視していきたいと思います(現時点で特に副作用は感じていません。かといってめざましくふらつきが改善しているとも感じていませんが…)。

 とりあえず、1ヶ月飲み続けて、様子を見た上で、次回の診察時に主治医に相談してみるつもりです。

ヒルトニンについて 

 セレジストと双璧をなしている、脊髄小脳変性症の治療薬に「ヒルトニン」というものがあります。

 これも同様に小脳症状の軽減を目的としており、セレジストが錠剤なのと違い、注射薬となっているようです。

 詳しいことは僕も分からないのですが、セレジストで効果が出ず、ヒルトニンに切り替えたところ効果が出たという方もいらっしゃるようです。

 これから生涯に渡り病気と付き合っていくことになりますので、いずれはこの薬も試してみるといったことになるかもしれません。

 ヒルトニンを使用している方、最初はセレジストを使用していたけど、ヒルトニンに切り替えた方がいらっしゃいましたら、ぜひ情報交換させていただきたいです。

 このように病気と分かってから様々な薬を服用していますが、”薬を飲んでいるんだから大丈夫!”という安心感も大きいような気がします。

 ツイッターにも書きましたが、「病は気から」と言いますので、精神論ではないですが、気持ちをしっかり持つこと、安定した精神状態を保つことが大事なのではないかと思います。

 薬をしっかり飲むことと、定期的な運動を継続すること(2月23日のブログをご参照:Vol.5【難病・脊髄小脳変性症】日常的にどのような運動をしているか https://bureimen.xyz/?p=376)で、自分の生活の質を少しでも長く維持していくことができると信じています。

 ではまた次回、最後まで読んでいただきありがとうございました!

Vol.5【難病・脊髄小脳変性症】日常的にどのような運動をしているか

 こんにちは、ぶれいめんです。

 最近は咳が続いてます。毎年季節の変わり目には体調を崩すことが多いのですが、特にこの時期は咳がひどいです。ハウスダストかな?とも思いましたが、その場合、一年中咳が出るはずなので、花粉症だと思っています(のどだけに症状が出ることもあるようです)。幸い鼻や目には影響が出ていませんので、それが救いです。

 今年はすでに花粉が飛散しているようなので、花粉症の方にはしばらく辛い時期が続きますが、薬とマスクでやり過ごすしかないですね(´;ω;`)

 さて、今回は日常的に僕がどのような運動をしているかお話したいと思います。症状が進行しているわけではないので、専門的なリハビリは行っていませんが、多少なりともふらつきは自覚していますので、自分が考える有効な運動について説明していきたいと思います。

 今回はこのような流れでお話していきます。

1.病気が分かるまで
2.病気と分かってから始めたこと3.病状が進行する中で有効だと思うこと

1.病気が分かるまで

 元々、それほど運動が得意ではなかったのですが、特別苦手というほどでもありませんでした。中学・高校は部活への入部が必須でしたので、僕は剣道部に入部して活動していました。平日の放課後、土曜日と練習に参加しており(僕のころは、たしか中一か中二までは土曜日の午前中は学校がありました)、土曜日の夜は市の体育館で行われる合同練習にも参加していました。

 その後、大学生になりましたが、大学では特に運動部には所属せず、もっぱらアルバイトに精を出していました。

 その後、就職し会社員になりましたが、会社ではフットサルやゴルフコンペに定期的に参加していました。若手ということで幹事もやっており、今思うとかなりアクティブに行動していたなと思います。

 プライベートでは、所属部署でバーベキューをしたり、キャンプに行ったり(これは運動ではありませんが)、特に体調を気にすることもなく普通に過ごしていたと思います。

 ただ、今になって思うと、会社員として働きはじめた当初から「走りにくさ」は感じていたように思います。

 普通に仕事している分には、全速力で走る機会はそれほどありませんが、運動する時はどこかしらぎこちない動きを自覚していたと思われます。この時期は父親の病気が判明した時期でもあり(2月11日のブログをご参照:Vol3【難病・脊髄小脳変性症】病気と働き方について① https://bureimen.xyz/?p=287)、この病気が遺伝性のものであると認識もしていましたが、周囲からも特に歩行・走り方について指摘されることもなかったため気にしていませんでした。

2.病気と分かってから始めたこと。

 その後、脊髄小脳変性症であることが判明するわけですが、同時に働き始めてから、体重増加が気になり始めていたので、ダイエットも兼ねた、ふらつき軽減のために「下半身を鍛えること」を始めました。

 現在、僕がやっていることは以下です。

ほぼ毎日やっていること

  • 腹筋 x 50回
  • 背筋 x 50回
  • レッグレイズ x 50回

 たまにさぼりますが、ほぼ毎日やっていることは、この三つです。

 これはふらつき軽減というよりは、ダイエット、体重管理がメインになってきます。

 ただ、レッグレイズについては、下腹と同時に太ももの強化にも有効で、(これは僕の私見ですが)ふらついて体重を支える場合、特に階段の昇降で体重を支え、ふらつきを抑えることに効果的に働いているような気がします。

週一でやっていること(これから再開すること)

  • ジムで水泳、水中ウォーキング

 すみません… これは今はやっていません。ただ、近い将来、再開する予定です。

 昨年夏頃までは定期的にやっていましたが、これはダイエット・下半身強化に非常に有効です!

 水泳は全身運動ですので、ダイエットは言わずもがなですが、僕がお勧めしたいのが「駆け足水中ウォーキング」です!

 要領は、太ももを高く上げて、駆け足気味に水中を歩くことです。別に歩かなくても、その場で足踏みするだけでも良いのですが、景色が変わったほうが飽きが来ないですし、何より達成感が得られるので非常におすすめです。

 僕は一回ジムのプールに行くと、最低1時間は水泳と水中ウォーキングをするのですが、目安としては25メートルプールを2往復(100m)したら、水中ウォーキングを10分ぐらいしています。

 泳ぐ場合も疲れないようにメインは平泳ぎです。たまにクロールもしますが、ポイントは「疲れずに続ける」こと。水中では浮力が働きますので、陸上ではぎこちない動きでも、スムーズにそれなりの負荷の運動を継続することができます。

 ただ、一点プールから上がると一気に疲れが襲ってきます。急にやりすぎると足がふらふらになりますので、そこだけはお気をつけください!

3.病状が進行する中で有効だと思うこと。

 あくまで僕の私見ですが、父親の症状の進行、自身の今の状態を踏まえて、以下の二点に気をつけるべきと考えています。

  • 体幹強化(脚の筋力維持)
  • 体重管理

体幹強化(脚の筋力維持)

 体幹強化(脚の筋力維持)は非常に大事だと思っています。

 健常者の方でも加齢に従って、脚から衰え始めますが、この病気を抱えている場合、なおさら脚の筋力維持が重要と思います。

 この病気で一番怖いのは転倒です。ふらついた時に体重を支えることができなければ、骨折や頭を打った場合、最悪の事態が起こりうる可能性があります。

 実際に僕の祖父(今考えると祖父も脊髄小脳変性症だったと思いますが、症状が顕著になったのが70歳過ぎで、はっきり診断されたわけではありません)が、ふらついた際に壁に頭をぶつけ、脳内出血を起こし、手術をしました。その後、言葉がしゃべりにくくなり、歩行困難で寝たきりになりました。

 僕は、まだ専門的にリハビリを受けているわけではありませんが、体幹を鍛えることが二次被害の軽減につながることは理解できますので、もし既に専門的にリハビリを受けている方で、他にも有効な運動をご存知の方は情報共有させていただけると幸いです。

体重管理

 これも非常に重要だと考えます。

 そもそも、適性体重をキープすることで、ふらつき→転倒のリスクを減らせますし、肥満による他の病気になる可能性も減らせると思います。体幹の強化 + 体重管理をセットで行うことが有効ではないかと思います。

 僕の父親のケースですが、肥満気味で主治医からも体重を減らすように言われています。食べることが楽しみでそれを奪ってまで体重管理となると行き過ぎと思いますが、ストレスにならない範囲で管理することは必要ではないかと思います。

 さて、ここまで病気の進行に対処する上で、運動を継続することが大切であることをお話ししました。

 病気のためと考えると、気分が重くなってしまうので、自分が楽しみながら続けることがベストかと思います(特にプールでの水泳・水中ウォーキングは楽しみながら続けられると思います)。

 この病気は自立歩行困難などで、いずれは外出することも制限されてしまう可能性がありますが、自分の体調を維持することで、そうなることを少しでも先延ばしすることは可能と思います。病気を抱えた上で、いかに生活の質(Quality of life)を高めていくかが大切で、その一つが日常的に運動を継続することにあると思います。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 また次回よろしくお願いします! 

Vol.4【難病・脊髄小脳変性症】病気と働き方について②

 こんにちは、ぶれいめんです。

 急に暖かくなったり、寒くなったり、皆さん体調は崩されていないですか?日本でも日に日にコロナウィルスの被害が拡大していますね。今後どうなるんでしょうか。東京オリンピックまでには収束するのでしょうか…

 さて、今回は前回に続き、病気と働き方についてお話ししようと思います。今回は、「今後の僕の生き方」についてです。

それでは、このような流れでお話していきます。

1.病気を抱えながらいかに働くか
2.僕が新しい仕事を選択する理由
3.今後の僕の生き方

それではさっそく始めます。

1.病気を抱えながらいかに働くか

 取りうる選択としては、大きく以下の二つではないかと思います。

  • 現在の仕事をこのまま続ける
  • 新しい仕事に転職する

現在の仕事をそのまま続ける

 個人的には積極的にこれが選べるなら、それがベストだと思います。

 病気の発症年齢は人それぞれですが、多くの方は10年以上仕事をされ、その仕事に対する知見も深まってきた、かつ相応の実績も積み上げてこられたと思いますので、自然なことかと思います。

 かくいう僕もそうです。病気と診断されたものの、2020年2月時点で、商社の営業職を継続しています。従業員100名前後の会社ですが、業務の調整、なるべく外出しないなどの措置をとっていただいており、非常に恵まれていると思います。

 ただし、これには、いずれ進行する病状に応じた配置転換、なにより職場の理解が必要不可欠ですので、限られた人員で業務をこなさなければならない中小企業などでは物理的に対応することが困難なケースもあるかと思います。

 そのため。積極的に選ぶ方がいる一方、どちらかというと選ばざるを得ない方も多いのではないかと思います。

 発症年齢によっては、ご家族を抱えていらっしゃる方もいると思いますので、新しい一歩を踏み出すにも大きなリスクが伴います。様々な要因があると思いますが、結局は自分自身がある程度我慢しながら、仕事を継続しているケースも多いのだろうと考えています。

新しい仕事に転職する

 その一方で、現在の仕事に見切りをつけ、新天地に活路を見出そうとする方もいらっしゃるかと思います。

 これは、前項の裏返しになりますが、自分の周りの外的要因(職場の理解、家庭環境など)が大きく影響してくるかと思います。

 職場で理解が得られなかった、配置転換は認められたものの転勤が必要になったなど。現在の仕事を続けたいが、このような理由で新しく職を探さざるを得ないケースがあります。

 一方で、独身である、手に職をつけたいなどの理由で転職を決める方もいらっしゃるでしょう。

 自分の置かれている環境から、ベストな選択をするわけですが、どちらを選ぶにしても相応のリスクはあるわけで。ある程度の覚悟は必要なってくると思います。

2.僕が新しい仕事を選択する理由

 その上で、僕は今の仕事から転職することを決意しました。

理由は以下の2つです。

  • 生き方を見直した
  • 病気の進行に備える

一つずつ見ていきます。

生き方を見直した

 これが最大の理由です。

 大学卒業後、ずっとサラリーマンとして働き続けてきましたが、病気になったことをきっかけに、自分の生き方このままで良いのか?と考えるようになりました。

 どうしても仕事をしていると、日々の忙しさもあり、仕事だけで手一杯になり、余裕のない生き方になってしまう。

 もちろん、生活する上でお金を稼ぐことは重要ですが、それよりも重要なことがあるのではないかと考えるようになりました。

 病気はもちろん、家族、友人、難病を抱えている仲間を作ること…

 精神的な変化というか、人生における優先順位が大きく変わったことが、転職する(生き方を変える)根本的な理由です。

 

病気の進行に備える

 僕の病気、脊髄小脳変性症は進行性の病気です。

 現在の僕にも様々な症状があらわれています(2月8日のブログをご参照:Vol.2【難病・脊髄小脳変性症】病気の症状について https://bureimen.xyz/?p=158)。今後、5年後・10年後には今より症状が進行していることが予想されます。

 現在は、電車に乗って普通に通勤していますが、いずれはこれが難しくなる可能性があります。会社員でも会社に出勤するのは週三・四回で、自宅で仕事をしている方もおり、働き方改革の影響で、今後もっと広まっていく可能性はありますが、まだまだポピュラーな働き方ではありません。

 そこで、僕が探したのは、基本的には【在宅で働くことが可能な仕事】です。毎朝、通勤する必要がなく、自宅で勤務可能な仕事、そして、それで生活していくことができるかを基準にしました。

 このような基準で探していくうちに、僕が見つけた仕事が【webデザイナー】です。

 web系の仕事は非常に幅広く、デザイナーだけでなくプログラマーなどの仕事もあります。なぜ、webデザイナーかというと、僕は(おそらく病気の影響で)視神経にも影響が出ており、長い時間細かい文字を見続けることが非常につらく、webデザイナーであれば多少コードは書くにしても、ある程度は軽減されるのではないかと考えたからです。

 また、いろいろ調べていくうちに、同じ難病の方でwebデザイナーとして在宅ワークされている方もいらっしゃいましたし、ご結婚されて専業主婦をしていたものの、家事の傍ら在宅でこの仕事をされている方もいらっしゃいました。

 すでに、先人の方が実績を作られていましたので、この仕事を選択することに全く抵抗はありませんでした。

3.今後の僕の生き方

 さて、これまで転職する(生き方を変える)理由を説明してきましたが、僕がこれからの人生をどのように生きていきたいか綴りたいと思います。

  • 変化した優先順位に基づいて生きる
  • webデザインの知識の習得、いずれは在宅勤務・フリーランスに

変化した優先順位に基づいて生きる

 先ほども述べたように、人生の優先順位が完全に変わりました。

  1. 病気
  2. 家族、友人、仲間
  3. 仕事、お金

 今はこのような感じです。

 病気のことが一番であることは当然として、今まで濃密とは言えなかった、家族・友人との関係を再構築して、強固なものにしていきたいと考えています。

 今までどうしても仕事優先だったこともあり、仕事関係の付き合いが多く、家族・友人との関係は二の次にしてきましたが、それではいけないと気付きました。

 あと、難病を抱えている仲間。これから積極的に交流していきたいと思います。僕はまだ脊髄小脳変性症の家族会に参加したことはありませんが、今年の早い段階で一度出席しようと思っています(大阪の家族会に出席します。もしこのブログを見ている方で参加されたことがある方はコメントいただけましたら幸いです)。

webデザインの知識の習得、いずれは在宅勤務・フリーランスに

 優先順位が下がったとはいえ、仕事・お金が重要でないわけではありません。

 生活に不自由しない程度に稼ぐ必要ありますが、メインはやはり【webデザイナー】としての収入になると思います。

 実は今年の3月から、web系のスクールに通う予定でいます。webデザイナーに転職することは早いうちから考えていたものの、専門的な知識、技術を習得するために、スクールに通うことに決めました(最初は独学も考えていましたが、挫折しそうだったのでやめました)。

 webデザイナーになったのちは、デザイン会社などで仕事をしながら、デザイナーとしての経験を積んでいきたいと考えています。可能であれば、副業などでも仕事を受注し、在宅勤務、フリーランスで仕事を行える準備をしていきたいと考えています。

 これが僕の今後の生き方です(あくまで予定です)。すべてが順調に進む保証はありませんが、問題が発生した際には、そのつど柔軟に対処していきたいと思います。

 最後に、このブログの更新もそうですが、今できることを精一杯こなすことが大切なのだと思います。少しづつの変化が、いずれは大きな変化へとつながっていく。将来は不確定なことばかりですが、一つ言えることは「病気は確実に進行していく」ということ。今、変化する行動をとらなければ、たぶん僕は一生悔やむでしょう。

 人間には現状維持バイアスがあると言います。要所要所でそれに立ち向かい、勝利をおさめていきましょう!よりよい未来を手に入れるために!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

Vol.3【難病・脊髄小脳変性症】病気と働き方について①

 こんにちは、ぶれいめんです。

 今日は休日なので、ブログを更新しようと思います。

 前回は僕の病気の症状についてお伝えしましたが、少々文章が長くなってしまったので、今回はもう少し短めにコンパクトにしていきたいと思います。

 今回はこのような流れでお話ししていきます。

1.病気を発症する以前の僕 
2.父親の発病・病気の進行。
3.転職し、東京から大阪へ、そして発病。
4.現在の僕の働き方

1.病気を発症する以前の僕

 僕は2010年に東京の大学を卒業し、現在に至るまで10年余り商社の営業として働いています。営業職一本で仕事をしており、転職するまでは関東で一人暮らししていました。

 職場は東京・日本橋にあり、サラリーマンとして毎朝起床、満員電車に揺られ出勤、定時まで働き、たまに残業して、たまに同僚と飲みに行く、どこにでもいる普通のサラリーマンでした。

 仕事は商社ということもあり結構忙しく、国内出張はもちろん、海外営業も担当しており、韓国、タイ、ミャンマー、インド、シンガポールなどに出張し、忙しくも充実した日々を過ごしていました。

 この時期は特に自分の体調不良は感じることなく、どちらかと言うと、自分より父親の体調不良が気になりだした頃でした。その当時は静岡に実家がありましたので、たまに帰省していましたが、その時になんだか父親の歩き方、話し方がおかしいと感じる程度でした。その当時、父親は車の運転もしており、仕事もしていましたので、まあ膝が悪くて疲れてるんだろなくらいにしか感じていませんでした。

2.父親の発病・病気の進行。

 ただ、そのうち、父親に様々な症状があらわれ、親族の勧めもあり病院で診察を受けることになりました。そこで告げられたのが「脊髄小脳変性症」でした(病院を受診した時には既にある程度進行した状態で精密検査を受けるまでもなく診断がおりたようです)。全く聞いたこともない病名で、最初はなんじゃそりゃ?と思いましたが、調べていくと、どうやら進行性の難病で歩きにくくなる、喋りにくくなるとまさに父親の症状とぴったり合致することが分かりました。

 特に気になったのは、この病気は遺伝する可能性があるという点でした。しかしこの時の僕は仕事の忙しさもあり、まあ大丈夫だろと詳しく調べることはしていませんでした(父親も精密検査をしていなかったので、病気の型も判明していなかったのです)。

 そんなこんなで、父親が脊髄小脳変性症であることが分かり、車の運転ができなくなり、仕事も早期退職することになりました。一方、定期的に大学病院の診察を受けることになり、伊豆・修善寺にある順天堂大学病院に通うことになりました。僕も仕事をしながら、たまに父親の付き添いで診察に同行しており、症状を目の当たりにしていました(この時点で発病から7~8年だったと思われます。ふらふらしながらも自立歩行できており、ろれつが回らないながらも聞き取り可能な状態でした)。

 実際は遺伝性の脊髄小脳変性症ですので、この時期の僕にも少なからず影響が出ていた可能性はあります(視力が出にくいなど)し、遺伝しているかもしれないと気になってはいましたが、特に何もすることなく過ごしていました。

3.転職し、東京から大阪へ、そして発病。

 その後、2017年に転職し、大阪・淀屋橋で働くことになりました。転職の理由はいくつかありますが、一つは実家が静岡から奈良に移ったことにあります。父親の病気と定期的な通院(現在は奈良県立医科大学病院に通院中)を考えると、近くにいたほうが何かしら便利だと思ったからです。

 大阪・吹田市で一人暮らししながら、仕事は引き続き、商社の営業として国内、海外出張するなど忙しく過ごしていました。

 病気の発病までの経緯は、前回2月8日投稿の【難病・脊髄小脳変性症】僕の病気の症状についてにも記載していますが、改めて下記します。 

そもそも、僕が脊髄小脳変性症と分かったのも視力低下が原因でした。眼鏡を新調しようとして近所の眼科に行ったものの、なぜか視力が出ず、眼科から中規模の病院を紹介され、徹底的に目の検査をしましたが、それでも理由がはっきりせず、試しに脳のMRIを撮ったところ、小脳が委縮している脊髄小脳変性症の疑いありと診断され、大阪大学病院を受診することになりました。

 ちょうど転職してから2年弱が経過した時でした。その前からたまにろれつが回らなくなる時があり、気にはなっていましたが、一時的なものだったので、まあ、大丈夫だろうと思っていましたが、脳のMRIを撮ることになった時、”これは覚悟しなければいけないかも” と感じました。診断された時は、”ああ、やっぱり” という気持ちが強かったです。

4.現在の僕の働き方

 さて、現在の僕がどのように働いているかですが、毎朝出勤し、定時まで働き、帰宅する。大きくは普通のサラリーマンと変わりません。ただ、以下の点が変わりました。

  • 残業しなくなった。
  • 営業としての外出は減り、メール、電話メインで仕事をしている。
  • 朝、めまいがすることがあり、1時間休みや午前半休などを取得することが多くなった。
  • 外でお酒を飲まなくなった。

 一つずつ見ていきます。この病気のことは職場の上司、会社の産業医にも伝えており、その上で産業医からは基本的に残業NGと言われています。

 また、営業職として外出の機会が減り、社内で仕事することが多くなっています。これは会社に配慮していただき、調整してもらっているもので、病気の進行に応じて転倒のリスクが出てくるため、僕はまだそこまで進行していませんが、万一に備え、対応していただいています。

 配慮していただいているものの、たまに体調が思わしくなく、特に朝、起床時にめまいがすることがあり、体調不良で休みを取得することが増えました。これには精神的なものも影響していると思うので、一概に病気の影響だけとは言い切れないと思います。この話はまた別の機会にブログに記載したいと思います。

 最後に、外でお酒を飲まなくなった。これは主治医の先生から外での飲酒を止められています。これも転倒のリスクを踏まえたものですが、このおかげで毎月の交際費がぐっと減りました(笑)。その代わり、家では飲酒していますので、まったく飲んでいないわけではありませんが、飲酒の機会は格段に減りました(ちなみに、僕の両親は毎日ビールとチューハイ2本を欠かしません、これは完全にアル中ですね( ´∀` ))。

 さて、ここまで僕の働き方をお伝えしましたが、会社に配慮していただき、働きやすい環境を作っていただいていると思います。

 ただ、営業として満足に働くことができなくなり、さらに自分の症状の進行を考えると、今の働き方をずっと継続して良いものか?と、非常に悩みました。

 言い方は悪いですが、会社はずっと面倒見てくれるわけじゃない。病気であることは理解してくれるものの、日々の忙しさもあり、そればかり考えてはいられない(仕方ないことです)。であるなら、自分に投資して、自分の価値を少しでも高めることが重要ではないか。と考えるようになってきました。

 じゃあ何をするか? 次回の「今後の僕の生き方」で詳しくお話したいと思います。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!