こんにちは、ぶれいめんです。
今日は休日なので、ブログを更新しようと思います。
前回は僕の病気の症状についてお伝えしましたが、少々文章が長くなってしまったので、今回はもう少し短めにコンパクトにしていきたいと思います。
今回はこのような流れでお話ししていきます。
1.病気を発症する以前の僕 2.父親の発病・病気の進行。 3.転職し、東京から大阪へ、そして発病。 4.現在の僕の働き方
1.病気を発症する以前の僕
僕は2010年に東京の大学を卒業し、現在に至るまで10年余り商社の営業として働いています。営業職一本で仕事をしており、転職するまでは関東で一人暮らししていました。
職場は東京・日本橋にあり、サラリーマンとして毎朝起床、満員電車に揺られ出勤、定時まで働き、たまに残業して、たまに同僚と飲みに行く、どこにでもいる普通のサラリーマンでした。
仕事は商社ということもあり結構忙しく、国内出張はもちろん、海外営業も担当しており、韓国、タイ、ミャンマー、インド、シンガポールなどに出張し、忙しくも充実した日々を過ごしていました。
この時期は特に自分の体調不良は感じることなく、どちらかと言うと、自分より父親の体調不良が気になりだした頃でした。その当時は静岡に実家がありましたので、たまに帰省していましたが、その時になんだか父親の歩き方、話し方がおかしいと感じる程度でした。その当時、父親は車の運転もしており、仕事もしていましたので、まあ膝が悪くて疲れてるんだろなくらいにしか感じていませんでした。
2.父親の発病・病気の進行。
ただ、そのうち、父親に様々な症状があらわれ、親族の勧めもあり病院で診察を受けることになりました。そこで告げられたのが「脊髄小脳変性症」でした(病院を受診した時には既にある程度進行した状態で精密検査を受けるまでもなく診断がおりたようです)。全く聞いたこともない病名で、最初はなんじゃそりゃ?と思いましたが、調べていくと、どうやら進行性の難病で歩きにくくなる、喋りにくくなるとまさに父親の症状とぴったり合致することが分かりました。
特に気になったのは、この病気は遺伝する可能性があるという点でした。しかしこの時の僕は仕事の忙しさもあり、まあ大丈夫だろと詳しく調べることはしていませんでした(父親も精密検査をしていなかったので、病気の型も判明していなかったのです)。
そんなこんなで、父親が脊髄小脳変性症であることが分かり、車の運転ができなくなり、仕事も早期退職することになりました。一方、定期的に大学病院の診察を受けることになり、伊豆・修善寺にある順天堂大学病院に通うことになりました。僕も仕事をしながら、たまに父親の付き添いで診察に同行しており、症状を目の当たりにしていました(この時点で発病から7~8年だったと思われます。ふらふらしながらも自立歩行できており、ろれつが回らないながらも聞き取り可能な状態でした)。
実際は遺伝性の脊髄小脳変性症ですので、この時期の僕にも少なからず影響が出ていた可能性はあります(視力が出にくいなど)し、遺伝しているかもしれないと気になってはいましたが、特に何もすることなく過ごしていました。
3.転職し、東京から大阪へ、そして発病。
その後、2017年に転職し、大阪・淀屋橋で働くことになりました。転職の理由はいくつかありますが、一つは実家が静岡から奈良に移ったことにあります。父親の病気と定期的な通院(現在は奈良県立医科大学病院に通院中)を考えると、近くにいたほうが何かしら便利だと思ったからです。
大阪・吹田市で一人暮らししながら、仕事は引き続き、商社の営業として国内、海外出張するなど忙しく過ごしていました。
病気の発病までの経緯は、前回2月8日投稿の【難病・脊髄小脳変性症】僕の病気の症状についてにも記載していますが、改めて下記します。
そもそも、僕が脊髄小脳変性症と分かったのも視力低下が原因でした。眼鏡を新調しようとして近所の眼科に行ったものの、なぜか視力が出ず、眼科から中規模の病院を紹介され、徹底的に目の検査をしましたが、それでも理由がはっきりせず、試しに脳のMRIを撮ったところ、小脳が委縮している脊髄小脳変性症の疑いありと診断され、大阪大学病院を受診することになりました。
ちょうど転職してから2年弱が経過した時でした。その前からたまにろれつが回らなくなる時があり、気にはなっていましたが、一時的なものだったので、まあ、大丈夫だろうと思っていましたが、脳のMRIを撮ることになった時、”これは覚悟しなければいけないかも” と感じました。診断された時は、”ああ、やっぱり” という気持ちが強かったです。
4.現在の僕の働き方
さて、現在の僕がどのように働いているかですが、毎朝出勤し、定時まで働き、帰宅する。大きくは普通のサラリーマンと変わりません。ただ、以下の点が変わりました。
- 残業しなくなった。
- 営業としての外出は減り、メール、電話メインで仕事をしている。
- 朝、めまいがすることがあり、1時間休みや午前半休などを取得することが多くなった。
- 外でお酒を飲まなくなった。
一つずつ見ていきます。この病気のことは職場の上司、会社の産業医にも伝えており、その上で産業医からは基本的に残業NGと言われています。
また、営業職として外出の機会が減り、社内で仕事することが多くなっています。これは会社に配慮していただき、調整してもらっているもので、病気の進行に応じて転倒のリスクが出てくるため、僕はまだそこまで進行していませんが、万一に備え、対応していただいています。
配慮していただいているものの、たまに体調が思わしくなく、特に朝、起床時にめまいがすることがあり、体調不良で休みを取得することが増えました。これには精神的なものも影響していると思うので、一概に病気の影響だけとは言い切れないと思います。この話はまた別の機会にブログに記載したいと思います。
最後に、外でお酒を飲まなくなった。これは主治医の先生から外での飲酒を止められています。これも転倒のリスクを踏まえたものですが、このおかげで毎月の交際費がぐっと減りました(笑)。その代わり、家では飲酒していますので、まったく飲んでいないわけではありませんが、飲酒の機会は格段に減りました(ちなみに、僕の両親は毎日ビールとチューハイ2本を欠かしません、これは完全にアル中ですね( ´∀` ))。
さて、ここまで僕の働き方をお伝えしましたが、会社に配慮していただき、働きやすい環境を作っていただいていると思います。
ただ、営業として満足に働くことができなくなり、さらに自分の症状の進行を考えると、今の働き方をずっと継続して良いものか?と、非常に悩みました。
言い方は悪いですが、会社はずっと面倒見てくれるわけじゃない。病気であることは理解してくれるものの、日々の忙しさもあり、そればかり考えてはいられない(仕方ないことです)。であるなら、自分に投資して、自分の価値を少しでも高めることが重要ではないか。と考えるようになってきました。
じゃあ何をするか? 次回の「今後の僕の生き方」で詳しくお話したいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!